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         古墳時代 朝鮮半島との交流の玄関口「若狭」を再度訪ねる     2011.8.30.     
                         脇袋古墳群など若狭の王墓からの出土品見学 &  若狭小浜港・遠敷(おにゅう)の里 Walk
                                          11011wakasa00.htm   2011.10.5.   by Mutsu Nakanishi





若狭上中地域の若狭王墓
  前方後円墳群
若狭町歴史文化館展示 
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古墳時代 朝鮮半島との交流の玄関口「若狭」を再度訪ねる 2011.8.30.
脇袋古墳群など若狭の王墓からの出土品見学 &  若狭小浜港・遠敷(おにゅう)の里 Walk 
1. 若狭「上中熊川宿& 脇袋古墳群 walk  2008.9.1.」 
【和鉄の道】大陸・朝鮮半島の鉄をもとめて続く若狭・北近江の「和鉄の道」を訪ねる 2008.9.1.
         2. 若狭「上中 熊川宿 & 脇袋 」より抜き出し 
2. 古墳時代 朝鮮半島との交流の玄関口「若狭」を再度訪ねる 2011.8.30.
脇袋古墳群など若狭の王墓からの出土品見学 &  若狭小浜港・遠敷(おにゅう)の里 Walk
2.1. 古墳時代 朝鮮半島との交流の玄関口 若狭 小浜の港
2.2. 若狭町歴史文化館で上中地域古墳群の出土遺物展示を見る
2.3. 若狭と大和の深い関係を示す 若狭遠敷(おにゅう)川 鵜の瀬の水送り
3. 若狭の国 Walk まとめ 
大陸・朝鮮半島から大和へと続く東アジアの文物交流路・和鉄の道 
     その日本海側窓口 若狭 その実像が見えてきた

 まだ日本で鉄が生産できない時代 朝鮮半島の鉄を求めて、朝鮮半島に近い北部九州諸国や、
 玉加工など特産品の生産に使われる鉄工具などの鉄器需要の大きかった山陰・丹後や北陸などが、
 朝鮮半島や北部九州と交易を行い、古墳時代当初 それらの諸国が畿内・大和への日本海側交易の窓口でもあった。
 その後 5世紀 鉄の需要拡大と共に天然の良港であり、国内交通の利便性の面でも良好な「若狭」が流通拠点として 
 畿内・大和への日本海側交易の窓口の役割を果たして行く。 

 日本の黎明期の古墳時代 大陸・朝鮮半島と大和を結ぶ「和鉄の道」の日本海側の玄関口「若狭」の実像のイメージを
 膨らませたくて、再度 若狭を訪ねました。
 

遠敷川 鵜の瀬
鵜の瀬 水送り神事
若狭一ノ宮 若狭彦神社
     
最近 読んだ本に文言は正確ではないが、
「 朝鮮半島の鉄を求める畿内・大和の日本海側交易の窓口は当初 丹後や山陰・北陸など。そして その後 若狭に移る。 
  丹後などは、流通拠点というより、鉄の消費地。 その後 鉄の需要拡大と共に 国内交通の利便性の良い若狭に移った」と。
 
「若狭」は古代 大和・畿内から北部九州・大陸・朝鮮半島を結ぶ交易ルートの窓口。 
3世紀 邪馬台国の時代から朝鮮半島の鉄を求めて「和鉄の道」が通っていたに違いなく、数々の朝鮮半島との交流を示す遺物や鉄製品遺物が残されている。
この「若狭」の国の中心が若狭町上中地域(旧上中町)で、若狭の王墓とみられる数多くの古墳が築かれ、大和との結びつきを示す前方後円墳も数多く残され
ている。以前にもこの地を訪れたことがあるのですが、今回この上中地域の古墳群から出土した朝鮮半島との交流の歴史を示す遺物を見たくて、若狭町歴史文化館を訪ねました。

また、奈良東大寺2月堂のお水取りで汲まれる「若狭井」の水は若狭からの湧水とする伝承の里「遠敷(おにゅう)の里」そして、大陸・朝鮮半島の日本海側の玄関口「若狭の湊」の
イメージをはっきりしたくて、若狭・小浜の港を訪ねました。

今回の若狭再訪で、1500年前 東アジア交流の真っただ中、国際的な海の玄関口として「若狭」がもっとも輝いた時代
鏡のような穏やかな広い内海を持つ巾着型の小浜の港の良さ・ 若狭の王墓 前方後円墳から出てきた鉄ならびに朝鮮系の遺物の数々。
そして、数々の文物・技術を持つ渡来人がこの若狭から大和へ登って行ったことを示す遠敷川 鵜の瀬の伝承等々
大陸・朝鮮半島から大和へつながる交流路「若狭」の姿を知ることができました。
もやもやしていた若狭の実像が浮かび上がってきて 我ながらびっくりです。
遠敷(おにゅう)の里と若狭の湊 
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膳部山を背後に脇袋古墳群 脇袋入口 若狭マッブ