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【写真アルバム】 京都堀川 京の七夕 2010.8.13.

109hrkwa00.htm  by Mutsu Nakanishi 2010.9.5.

1. 京都 記憶からも消えつつあった堀川の今   
  堀川が 疎水の水を引き込んで素晴らしい水辺のプロムナードに
2.
  七夕飾りの堀川河床プロムナードをそぞろ歩き

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旧暦の「七夕」に当たる8月6日−15日までの夜、京都堀川の河川敷を散策路とする「京の七夕」のイベントが本年よりはじまった。
真っ暗になった堀川の散策路の空に多数のLED電球で再現された天の川、そして 七夕飾りで飾られた遊歩道脇には掘川に放流された青い玉画流れくだり、友禅流しの布がゆれる幻想的な光のページェント。
8月13日の夕刻 お墓参りの帰りに京都堀川の「京の七夕」を楽しんで帰りました。
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1. 京都の記憶からも消えつつあった「堀川」の今  堀川の川床で「京の七夕」が開催
  堀川が疎水の水を引き込んで素晴らしい水辺のプロムナードに

「京の七夕」が開催された堀川の川床プロムナードの位置  インターネットmapより

堀川の河川敷ってどんな風なのだろう?? とんと記憶にないが・・・

昔は柳のそよぐ掘川端をチンチン電車がはしっていましたが・・・

「京の七夕」の会場は堀川通沿い堀川の河川敷〔二条城横の御池通から今出川通まで〕と聞く。
 
京都の中央を南北に貫く幹線道路堀川通沿いの堀川。
最近の「堀川」について とんと覗き込んだ記憶がない。
「堀川」といっても、通りに沿って凹状に深く掘り込まれた人工河川に近い状態で、車で何度も通るが、川底は見えない。確か ほとんど水は流れておらず、堀川通からは数メートル下に川底があり、降りる道などなかったように思う。
 
私の学生時代には 二条城に面して京の南北を結ぶ広い幹線道路堀川通の東側の堀川沿いには柳の木が植えられていて、町屋が建ち並ぶ堀川の東岸 東堀川通を京都駅と北野白梅町を結ぶ日本最初のチンチン電車が柳の枝をなびかせながら、のんびりと走っていた。京の新旧が見られる格好の場所だった。
其の当時から掘割状の川で川に降りられるなどのイメージはなかった。
堀川の河川敷は掘割の壁で周りと隔てられているので、夜空を眺める散策路としては絶好だろうが、そこが会場といわれるとピンとこない。それにも興味津々である。

 かつての堀川のイメージ  インターネットより

現在の京都南北の交通幹線堀川通(中央)

 写真左下が堀川通に面した二条城 

 掘川通の右に沿ってコンクリートの川床に
 細い水路の堀川そして、その右が東堀川通
 
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■ 2009年 琵琶湖疏水の水を引き込んで再生された堀川と堀川川床プロムナード  インターネットより
インターネットなどで調べてみると 
堀川は かつては京都市街地の北西端の船岡山の東麓から流れ出し、京都の中央を南北に流れ下る小さな川であったが、平安京造営の時に、細目を運ぶなど物資輸送の運河として整備され、農業用水・友禅流しなど 京の生活にはなくてはならぬ川であった。 しかし、現代の市街地発展と共に川としての役割を終え、現在では今出川通より北側と御池通より南側が暗渠となり、其の間だけがオープンになっている。 そして 周辺市街地の雨水だけを流すだけの川となり、コンクリートで固められた河床には水がほとんど流れていない状態で、京の街と切り離され、ほとんど京都の人からも川のイメージが消え去っていた。
京都市では2004年からこの堀川のオープン部分4.4キロを改修して 流れをとりもどし、市民が親しめる川べりにする事業を推進。
今では 琵琶湖疏水の水を賀茂川を越えてこの堀川に注ぎ込ませ、川床に幅1〜2メートル 水深約15センチの水路を設け、堀川の岸から川床に降りる道と共に滝や橋広場を整備し、堀川の川床散策路を2009年に完成させ、堀川のイメージを一変させ、市民の李親しめる空間が出来上がっている。
車で通るだけでは まったく知らなかった堀川の変身。「こんなに風に堀川がかわっているのか・・」と。
素晴らしい川べりが回復された堀川での「京の七夕・天の川・光のモニュメント」 本当に楽しみです。
 


2009年琵琶湖疏水の水を引き込んで再生された堀川の川床プロムナード
 

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