from  Kobe   9月  2010.9.5. 
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   【from  Kobe 2010年 9月】 
  どうもおかしい日本 by Mutsu Nakanishi  2010.9.5.   1009kobe00.htm

  
 

一向に日本の景気が良くならないばかりか、益々不安定に見える。
最近の新聞やテレビでの報道を見ると〔技術立国日本〕〔世界をリードする物づくり立国 日本〕がどうもおかしい。
   中国や韓国に負ける局面ばかりでなく、東南アジア諸国にもまける局面が増えつつあるという。
   中国や東南アジアの労働者の低賃金・低コスト体質に負けるのだという局面ではないらしい。
   昨今の ユーロやドルに対する円の独歩高も 日本が一人負けの様相。
日本の政治家・指導者やマスコミがいう日本とはどうも違っているようだ。
その根源はどこにあるのだろうか・・・・・・・
  日本の「物づくり」技術 ひとつ取ってみても それを支えているのは かつての現場熟練技術者であり、
  声高に日本の独自技術と騒ぎ立てるが、あっという間に追い抜かれる底の浅い技術になってしまっているのではないか・・・・
  結局のところ コンピューター・情報技術と効率化に名をかりて「誰でも何でも機械に置き換えられる」とばかりに、
  置き換えられぬものがあることから目をそらしてきた日本 人を大事にすることが忘れられた日本
  それが、日本国内のみならず、国際競争力もそぐ結果になっているのではないか・・・・・・・
      大規模化・効率化に名を借りた変革が逆に競争を妨げ、コミュニケーションをなくし、クリエイトする力・個性を妨げて
      まったく余裕のない底の浅い社会構造になってしまったことが、その根源にあるような気がしてならない。
経営者・政治家・指導層が信望してやまないアメリカでは 
今「オバマ政権が本当にどれだけ雇用を創出したのか??」とその雇用創出の具体的な数字でその信が問われているという。 
施策がどれだけ改善に寄与したかが、数字で問われる。いかにも アメリカ的である。
では 日本ではどうなのだろうか・・・ 
キャッチコピーを作り並べて声高に叫ぶが、とうもほうかむり。
「手は打っている」「安定雇用対策に手を回している」「エコと介護で景気回復」等々
数々の言葉が並べられたが、その施策に対して 何一つ雇用の具体的な数字変化がfollow されることはない。
「大企業に資金を回して景気を良くすれば、それが順次廻って景気回復・安定雇用の増大につながる」と旧態以前のお題目。 
景気対策等で優遇され 資金を得た大企業は収益体質を強化するため、急速に海外シフトを強めている。
これでは いくら大企業に資金を回しても 国内の雇用回復・景気回復の投資にはつながらない。
また、海外シフトにしても 日本の技術力がかつてのような強さを持っていない現状をどのように見ているのだろうか・・
 
雇用の安定拡大が日本経済回復の切り札だとするなら、
今アメリカのオバマ政権が問われているというこの雇用拡大の指標の数字に、
公約も施策もすべて置き換えて、その成功度を測るというのはどうだろうか・・・・
方向が見えないというのは 本当は施策がないのか 誤っているのかどちらかだろう。
どうも 日本がおかしい。
 
アメリカやヨーロッパとの連帯路線と言っている間に見放され、
「中国・韓国には・・・ ましてや東南アジアなど・・・」といっている間に
日本だけが置き去りにされてゆく。
もはや「低賃金多労働に日本が競争力が失われてゆく」との
教条的な海外シフトも勝ち目無し。
気がつくと日本だけが孤児にならぬように願いたい。
金子みすず『星とたんぽぽ』
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
星のお星はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬけれどもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきにだァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬけれどもあるんだよ。
根源はどう見ても コスト・効率ではなく 知恵・コミュニケーションによるクリエイト力で 
人を大事にしないと生まれぬパワーである。
これを駄目にした日本の施策の責任は大きい。
地方と国 個人と社会 経営者と労働 弱者と強者 等々の対立の構図から 
融合・共生の構図に変化すれば、新しい道が生まれ、この閉塞感から 逃れられるのではないかと。
 
山口美祢にいた時に知った長門・仙崎の詩人 金子みすずの詩に 最近 妙に心惹かれることが多い。
これも この閉塞感ゆえか・・・・・・
                                2010.9.1. by Mutsu   Nakanishi

 
最近 妙に心惹かれる 長門・仙崎の詩人 金子みすずの詩
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最近 みつけた金子みすずの詩
 
 『ふしぎ』
  わたしはふしぎでたまらない,
  黒い雲からふる雨が,
  銀にひかっていることが。

  わたしはふしぎでたまらない,
  青いくわの葉たべている,
  かいこが白くなることが。

  わたしはふしぎでたまらない,
  たれもいじらぬ夕顔が,
  ひとりでぱらりと開くのが。

  わたしはふしぎでたまらない,
  たれにきいてもわらってて,
  あたりまえだ,ということが。

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『星とたんぽぽ』
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
星のお星はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬけれどもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきにだァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬけれどもあるんだよ。

 
 

『私と小鳥と鈴と』
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私が体をゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように 
たくさんの唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
『大漁』
朝焼小焼だ 大漁だ 
大羽鰮(いわし)の大漁だ。
浜は祭りのようだけど
海のなかでは 何萬(まん)の 
鰮のとむらい するだろう。
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1009kobe00.htm   2010.9.5.  by Mutsu  Nakanishi