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弥生 弥生 古墳 古墳 古墳 中期 後期 前期 中期 後期 BC1〜AC1半 AC1後半〜3世紀半 3世紀後半〜4世紀 4C末〜5 6・7世紀 .
鍛冶工房から砂鉄が出土した弥生の阿波国 大集落「矢野遺跡」を訪ねる
弥生時代中期末から北九州と時期をほぼ同じくして鉄器生産を始めた鍛冶工房 2010.2.6.
.1003awa00.htm 2010.3.5. by Mutsu Nakanishi
西側の山側宮谷古墳より国府地区 矢野・徳島平野を眺める 2010.2.6.
【 内 容 】 1. 板野古墳群の山麓にある徳島県埋蔵文化財センターへ 徳島県埋文センター・西山谷2号墓 2. 弥生の大集落 矢野遺跡のある国府地区へ 鮎食川の扇状地に開けた阿波王城の地 徳島考古資料館3. 「村から国へ」国府地区walk 砂鉄が出土した矢野遺跡 鍛冶工房跡を探す1. 矢野古墳2. 阿波史跡公園 宮谷古墳3. 阿波 国分寺跡4. 矢野遺跡が眠る矢野の国道192号線地下 砂鉄を出土した矢野遺跡 鍛冶工房跡4. 阿波 矢野遺跡walk のまとめ 矢野遺跡 鍛冶工房から出土した砂鉄の使い道??? 【outline 解説】 概説1. 阿波の国 概説〔PDF 2.1MB〕
1.弥生の村から阿波の国へ
2.阿波国に見る日本誕生 徳島埋蔵文化財センター展示より 再整理
3.阿波と大和王権とのかかわり 香芝市二上山博物館
「邪馬台国時代の阿波・讃岐・播磨と大和」などから転記概説2. 矢野遺跡 概説〔PDF 1.7MB〕 村から国へ 鉄器加工を始めた弥生の大集落
● 吉野川下流域 鮎喰川流域での鉄器生産
● 矢野遺跡から出土した鍛冶工房跡
徳島埋文センターhome page & 資料より
四国 阿波国の矢野遺跡の古墳時代初頭の鍛冶工房跡から瓶に収められた砂鉄が出土
この砂鉄は何を意味するのだろうか・・・・最近 気になっている製鉄関連遺跡があった。日本で製鉄が始まる前の弥生中期末頃に北部九州と時をほぼ同時期に鉄器生産をはじめた徳島吉野川下流域南岸の矢野遺跡・名東遺跡や庄・蔵元遺跡。古代の海岸線に近い山裾 鮎喰川沿いの鍛冶工房群である。
古代になるとこの鮎喰川流域には阿波国府が置かれ、阿波国の中心として引き続き発展してゆく。
この四国阿波の古墳時代初頭の鍛冶工房遺跡「矢野遺跡」から瓶に収められた砂鉄が出土した。
日本で砂鉄が製鉄原料としてたたら製鉄が始まるのは5世紀半ばでづっと後である。
出土した砂鉄は何を意味するのだろうか・・・・
昨年淡路島で発見された弥生時代後半の国内最大級の鍛冶工房「垣内遺跡」とこれらの鍛冶工房遺跡群との関係はどうなのか
卑弥呼の時代を経て初期大和王権の成立に大きな役割を演じたといわれる「阿波」。
その力の源泉は阿波の鉄器生産ではないか・・・・
矢野遺跡で砂鉄が発見される同じ頃 日本各地の製鉄関連地で墓に砂鉄が副葬される例も見つかっている。
「3世紀頃 砂鉄は「砂鉄」として認識され、鍛冶の副原料ないしは初期的な製鉄がトライされていた可能性なを秘めている?」
そんな思いがある。
まだ、日本で製鉄が始まらぬ時代 朝鮮半島の鉄素材の供給を受けて、北部九州などの拠点地域での鉄器生産が始まり、
日本の国づくりが進む時代の「砂鉄の謎」である。
朝鮮半島・北九州から 四国・瀬戸内そして大和へと続く「鉄の道」の中間拠点にあり、当時の先端技術を有して、
日本の初期大和王権成立に役割を果たした阿波。 そんな時代に鍛冶工房で瓶に入れられた砂鉄が出土した。
この砂鉄は何を意味するのか??? 頭にある「砂鉄の謎」
徳島へ行けば 何かイメージが湧くかも知れぬ。
古代阿波の中心部 そして 阿波の鍛冶工房群の存在地はどんなところなのか?? ぜひ見ておきたい所でした。2月6日 風は強いが ぽかぽか陽気の土曜日。淡路島から鳴門大橋を渡って徳島へ
何度も通った道ですが、いつも徳島は通過点。縄文から古代への拠点集落として継続する大集落矢野集落遺跡があり、そして古代には阿波国府があった鮎喰川流域の国府地区。行くのは初めて。
今 矢野遺跡は今 どうなっているのだろうか・・出土遺物等は資料で見られるのですが、
その遺構はほとんどわからない。インターネットなどで調べて、板野IC のすぐ近くの徳島県埋蔵文化財センターに
矢野遺跡出土品などを含め阿波国の歴史展示があると知って
まず、徳島県埋文センター二行ってから、国府地区の矢野遺跡を見に行くことにする。
また、この矢野遺跡のすぐ近くにも徳島市立考古館があるので 色々教えてもらえるだろう。
あとは 足の向くまま 風来坊である。。
また、阿波国は四国に上がった中央構造線がまっすぐ東西に走り抜け、その中を大河吉野川が流れ下ってくる。
前方には大きな入り江の海が広がっていたこの国府地区。
縄文から古代にはこの山裾に阿波の豪族たちが築いた阿波国の前方後円墳が数々あり、そして眼下には阿波国・阿波の海が広がる。今は吉野川が流れ下る広大な徳島平野がどんな風に見えるのか・・・・。 これにも 興味深々である。
阿波 鍛冶工房から砂鉄が出土した弥生の大集落「矢野遺跡」を訪ねる Walking Map 2010.2.6.
神戸→大鳴門橋→(高松自動車道)→板野IC →徳島埋蔵文化財センター・西山谷2号古墳→吉野川六条大橋→石井町→→鳥坂T字路を南へ→徳島市国府地区に入る→国府町矢野 徳島市考古館→矢野古墳→阿波史跡公園・宮谷古墳→
→阿波国分寺跡→国分地区を南北に貫く国道192の下すべてが遺跡 矢野遺跡〔矢野銅鐸出土地・鍛冶工房跡地〕→
→国道192を北へ→観音交差点付近〔阿波国府 観音寺遺跡〕→観音T字絽を東へ国道192を徳島市街地へ→
→上鮎喰橋(鮎喰遺跡→徳島大蔵本キャンパス〔庄・蔵本遺跡〕→→徳島駅→
→国道11号線を北へ→吉野川大橋→鳴門IC→鳴門大橋→神戸吉野川下流域の南岸 鮎喰川の扇状地に広がる阿波の中心 国分地区
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1003awa00.htm 2010.3.5. by Mutsu Nakanishi