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テキスト ボックス: 2.
弥生時代後半  国内最大級の鍛冶の村「垣内遺跡(鍛冶工房跡)」 現地説明会 Walk
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国生み神話の淡路島で、弥生時代後半 卑弥呼の時代の大鍛冶工房村が出土した
倭国から初期大和王権誕生へ 日本誕生の謎を解き明かすかも・・・
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淡路島 淡路市黒谷 2009.1.25. 0903kaito00.htm by  Mutsu  Nakanishi
弥生時代後期(1世紀〜3世紀前半)の大鍛冶工房跡 「垣内遺跡」  
         淡路市黒谷 2009.1.25.朝
2009.1.23.朝刊で弥生時代後期の大鍛冶工房集落
 「垣内遺跡」の出土を伝える新聞各紙 〔上記写真はインターネット版〕
1月22日深夜 ラジオを聴いていると 
淡路島北部の淡路市黒谷の垣内・カイト遺跡で 弥生時代後半(1世紀〜3世紀前半)の大規模な鍛冶工房跡が出土した
と伝えている。確認建物跡17棟のうち鍛冶炉のある鍛冶工房跡が10棟と鍛冶工房の割合が大きく、鍛冶の村の様相が濃いという。大鍛冶工房集落の出現で、1月25日発掘調査現場で 現地説明会が開かれる。これを逃せば、生の姿はもう見られない。
絶好のチャンス。是非 行こうと。
 
.弥生時代後半  国内最大級の鍛冶の村
「垣内遺跡(鍛冶工房跡)」 現地説明会 Walk
国生み神話の淡路島で、卑弥呼の時代の大鍛冶工房村が出土した
1.
 1.1.  垣内遺跡の調査のあらましと遺跡概観
 1.2.  垣内遺跡現地説明会資料 -弥生時代の鍛冶工房跡- 
 1.3.  私見 「大鍛冶工房村」が淡路島で出土した意義 
2. 淡路島に出土した弥生時代後半の大鍛冶工房村 垣内遺跡 Walk
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 2.1. 弥生後半の鍛冶工房遺跡に瀬戸内海・朝鮮半島へと続く鉄の道を描いて
 2.2.  2008年度発掘調査 中心部  (4)-3地区の鍛冶工房遺跡跡
 2.3.  尾根筋の上部 遺跡上部 (2)地区から最上部 (2)地区へ
 2.4.  尾根筋の下方 遺跡下部  (4)-1・2地区から遺跡の端 集落の墓地の丘へ
3.  walk  まとめ  現地説明会ほか現地で教えてもらった遺跡情報
4.
私見 
 朝鮮半島から大和への 古代 鉄技術伝播の「鉄の道」のルートを考える 
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    弥生の大鍛冶工房村 「垣内遺跡」の位置づけ

鉄素材と思われる大型鉄製品

鍛冶工房跡 航空写真 
インターネットより
弥生時代後半(1世紀〜3世紀前半)というと邪馬台国の卑弥呼の時代と重なる。
まだ、朝鮮半島・大陸に近い北九州諸国が製鉄技術を握っていたと思われる時代 
既に瀬戸内海の東端 大和の入口淡路島に朝鮮半島からの鉄素材入手のルートを確立し、
鉄器製造の大鍛冶工房を営む勢力があった。 これはすごい。
この淡路島の勢力は卑弥呼・邪馬台国につながる勢力だったのだろうか・・・・
また、淡路島は古事記・日本書紀に記載された「国生み神話」の島。出雲と同じく、
神話としか考えられていなかったことが、この遺跡の出現で「史実」の重みが増してゆくのだろうか・・・
 
弥生時代後半といえば、大和王権成立の前夜  邪馬台国の位置論争の時代。
国内で鉄を作ることができず、国づくりに必要な武器・農工具などの鉄器製作に必要な鉄素材を朝鮮半島に頼り、
その入手を競った時代である。
● 弥生時代後期の2世紀後半から3世紀前半 魏志倭人伝に初めて倭国の女王として登場する邪馬台国の卑弥呼。  
● 景初三年(239年)  魏に朝貢使節を派遣し、魏より倭王の金印と銅鏡100枚を与えられたという。
● 弥生時代後半 当初 鉄の技術は朝鮮半島・大陸に近い北九州諸国が独占していたが、
  その後 出雲・伯耆・丹後・吉備 そして大和・畿内へ鉄の蓄積が東進して行く。
  この鉄器使用で初めて実現できる国造り。
  古墳時代の大和王権成立へと突入する前夜 日本誕生へと突き進む激動の時代である。
 
吉野ヶ里遺跡と纏向遺跡 邪馬台国の位置論争の論拠になっていた弥生遺跡に、淡路島の大鍛冶工房遺跡が加わる。
大和巻向説が勢いづく発見である。
 
「邪馬台国から初期大和王権の誕生へ」 謎の日本誕生を解き明かす鍵は「朝鮮半島の『鉄』の供給ルート支配をめぐる同盟」といわれる。
弥生時代後半から古墳時代にかけて、北九州から東へ 出雲・伯耆・丹後・吉備を経て大和へと伝わったと考えられてきた実用鉄器製造の鍛冶技術。

そして、4・5世紀 畿内・大和に展開した脇田・南郷 布留 大県などの大専業鍛冶工房集落群が初期大和王権を支えたことがすでに明らかになっている。その先駆けとも取れる淡路島での大鍛冶工房集落である。

.日本誕生に大きな貢献をした古墳時代畿内の大専業鍛冶集落の先駆けとなった大鍛冶工房村跡が発掘された生の姿でそっくりそのまま見られる。
 

どんな鉄素材が持ち込まれたのだろうか??
鍛冶炉はどんな構造だったろう???
高温維持に欠かせない羽口は既にあったのだろうか???
日本で5世紀後半にスタートするたたら製鉄。
そのプレたたらの痕跡があるかもしれぬ ??? 
5世紀後半大陸・朝鮮半島に類型がない「たたら製鉄・塊錬鉄製鉄法」
として日本での製鉄がはじまる。
本当に 次々と古代製鉄のイメージが次々とひろがり、興味は尽きない。
 
早速、インターネットや淡路市に照会して、垣内遺跡の位置やルートを調べる。
垣内遺跡のある淡路市は淡路島の北半分旧北淡町などが合併してできた町。
野島断層が通る町で遺跡はその直ぐ南側である。
私の住む西神戸からは約40KM 明石大橋を通って車で約40分ほど。
淡路島は神話の島。 出雲と同じく 日本誕生への「鉄」の重要性を考えると淡路島でこの時代の製鉄関連遺跡が出てもおかしくない。 
でも、出るとしたら 早くから開け、平野部が広がる南側丘陵地と思っていましたが、北西部の丘陵地とは ビックリです。
どんな風に どんな大きさ・形の鉄素材が国内にもちこまれたのか??
また、たたら製鉄が始まる5世紀後半まで、どんな風に製鉄技術が繋がってきたのか 謎を解く鍵のひとつ。
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大鍛冶工房集落が出土した淡路市黒谷 垣内遺跡の位置  googleなどより
 
1月25日(日) そんな夢を膨らませながら 珍しく雪が舞う寒い朝 
淡路島の中央部 瀬戸内海側海岸沿いの淡路市黒部地区に出土した弥生後半の大鍛冶工房村・鍛冶工房跡「垣内遺跡」の発掘調査現地説明会に出かけました。
西方 正面に男鹿島などの家島群島 右手に姫路の海岸線が見晴らせる小さな尾根筋の傾斜地に10棟の初期の鍛冶工房トータル17棟の建物跡が密接して出土。 これだけ多くの弥生の鍛冶工房が密接して見つかったことに驚きました。
一番見たかった謎につつまれた朝鮮半島からの実用鉄器素材 「大型鉄素材」もバッチリみました。
うっすらと雪で地面が濡れて 炉跡が見えるか心配しましたが、うっすらと被熱し赤茶けた土の炉跡がいくつも見えました。
この時代の鍛冶炉の一型式 「地面が掘られず、羽口も無し」。 
尾根筋を吹き上げる自然通風の中で鍛冶作業がなされたようだ。
この型式は北九州というより、山陰・大和の鍛冶炉の型式に近いと聞いた記憶がある。
やっぱり、大和と関係深い鍛冶炉か・・・・
それにしても 大和王権成立へと進む前夜 すごい鍛冶工房集落が畿内の入口に出土した。
尾根筋の一番上に立って、出土した大鍛冶工房跡 そして そのむこうの瀬戸内海をみていると 鉄の道のロマンが次々と頭に浮かんできます。

                   2008.1.25. 淡路市 垣内鍛冶工房遺跡で


 

尾根筋に広がる遺跡全体  2009.1.25.
標高約200m   海岸から約3KM 
その先に瀬戸内海を見晴らす
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大型鉄製品が出土した鍛冶工房跡 2009.1.25.
竪穴住居の壁際に大型鉄製品 
中央部に3つの炉跡・石槌が出土
淡路島は北九州・瀬戸内と大和を結ぶ
「鉄の道」の中継点か? 
弥生時代中期、朝鮮半島から九州北部を経て、
日本海、瀬戸内海沿いなど複数ルートで東へと続く「鉄の道」 
よくわからぬ実態が解けるも・・・
 

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 【参考・引用資料】
1. 垣内遺跡 現地説明会資料 「弥生時代後期の鍛冶工房跡」 2009.1.25. 淡路市教育委員会
2. 村上恭通著「古代国家成立過程と鉄器生産」(青木書房 2007年)
3. 村上恭通著「倭人と鉄の考古学」(青木書房 1999年) 
4. 第5回暦博シンポ「古代東アジアにおける倭と伽耶の交流」(2002年 国立歴史民族博物館)
5. 「北陸の玉と鉄 弥生王権の光と影」(2005年 大阪府立弥生文化博物館)
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