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卑弥呼の時代からの大陸への玄関口 若狭・北近江の「若狭街道」

 9.大陸・朝鮮半島の鉄をもとめて続く若狭・北近江の 「和鉄の道」を訪ねる  2008.9.1.   

     分水嶺「水坂峠」の両側にある北近江「高島 熊野本」と若狭「上中 熊川宿 & 脇袋 」
 0810wksa00.htm  2008.10.1. By Mutsu  Nakanishi
1. 北近江「高島 熊野本」
安曇川左岸 饗庭野丘陵 「鉄の加工工房があったという弥生の熊野本集落遺
2. 若狭「上中 熊川宿 & 脇袋 」
5世紀 大和と結ぶこの地を治める王の墓群「脇袋古墳群」 
 若狭ではじめて築かれたた前方後方墳・前方後 
日本海に面する「若狭」は大陸・朝鮮半島と畿内・大和を結ぶ「古代 大和の和鉄の道」の北の玄関口
この道を通って 多くの渡来人そして「鉄」や文物が行き来した。
この琵琶湖北岸から若狭へ山越えする「若狭街道」周辺には 数々の渡来人の痕跡や大陸・朝鮮半島の鉄の遺物が点在する
また、大和王権はいち早くこの鉄の供給路・大陸との交流路を確保のため、この地の「王」と結び、そんな証として、古墳時代初期のこの地の「王」たちの王墓 である前方後方墳・前方後円墳が数多く築かれた。
日本で製鉄が始まる前夜 そんな大陸からの鉄の流入路の夢を頭に描いて「若狭街道」を訪ねました。
● 北 近江 高島市 新旭町「熊野本遺跡」    BC1〜1世紀
北近江安曇川の北岸に連なる饗庭野丘 陵の南端 熊野本にある弥生の高地性集落 大量の鉄素材を大陸から持ち込んでいたといわれる。 琵琶湖の北岸北近江から日本海沿岸・大陸への玄関口「若狭」へ向かう山越えの入り口に当たり、眼下に広がる高島平野と琵琶湖を一望できる。 
鉄の畿内流入の重要路で 早くから開かれた地であろう。  この地に弥生の大きな集落があり、入手した鉄を鉄器に加工していた。 
そして、この弥生の集落が消える時期を同じくして、この地 の王たちの墳墓が築かれる。 
● 北近江  高島市 新旭町「熊野本古墳群」(熊野本遺跡の隣接地) 3世紀
古墳時代安曇川の地を支配した王が、 琵琶湖を見下ろす熊野本遺跡の跡地に築いた王墓群   
初期前方後円墳・後方墳など大和との密接な関係・鉄製品や 朝鮮系遺物の副葬など大和「鉄の道」北の玄関の守りの王の色彩が濃く、 この地が重要拠点だった証拠だろう。 
●  若狭 若狭町 上中町 脇袋「脇袋古墳群」      5世紀
若狭から北近江へ遡る北川右岸の丘陵地に初期前方後円墳など大和との密接な関係を示す古墳群が築かれ手いる大和「鉄の道」北の玄関  若狭の出入口であるこの地の王墓群大陸と大和を結ぶ重要路を守る地域首長の色彩が濃く、大和がこの地  この道を重要視していた痕跡だろう
ずっと 頭にあった日本海沿岸から若狭そして琵琶湖へと 畿内・東国への鉄の流入路。
古代大和王権の重要な「鉄の道」である。北近江の琵琶湖へ西の比良山塊から流れ下る安曇川の北岸 饗庭野丘陵の南端にある弥生 の高地性集落「熊野本」に鉄素材や加工の痕跡のある鉄が出土しているという。そして、その後この地に地域の首長が存在し、前方後方墳など大型の墳墓群を築 いたという。
電話やインターネットで調べても 詳細は良くわからない。
大陸・朝鮮半島への玄関口 若狭街道の要衝の地にあるこの熊野本遺跡・熊野本古墳群はどんなところだろうか・・・・
出土した鉄素材はどんなかたちなのだろうか・・・・・。 

現地に電話して、照会するのですが、雑木林に覆われた丘陵地を別荘地として開発した場所で、遺跡は残っているが、草に覆われ、行っても何もなく、整理され た資料も現地にはないという。
情報は滋賀県埋蔵文化財センターの簡単な学習シートとみ。
場所は新旭駅のすぐ近く 西側の丘陵地の上。 弥生の高地性集落。
この集落が消えた後、この地域を治める首長が小さな谷を隔てた隣接地に 次々とこの地の首長が大和との密接なつながりを示す前方後円墳や大型墳墓を築いたという。
この琵琶湖北岸から西岸にかけては、その山中に鉄鉱石があり、数々の渡 来人の痕跡とともに「鉄」関連遺物が数々出土している。
日本で一番先に製鉄を始めた先進地のひとつ 牧野や古橋に古い製鉄遺跡 群が残るこの北近江。
弥生時代にも きっと重要な鉄の痕跡があり、日本での製鉄の始まりにも 大きな役割を演じたのではないか・・・・・
「鉄」の流れを紐解く上で、欠くことのできぬ所たろう。

とにかく どんなところか 見に行こう。
本当にどんな鉄素材が出土したのかも 知りたいと。

今年の夏 若狭の縄文時代の貝塚「鳥浜貝塚」を訪ね、この地の縄文人が丸木船を駆使して、日本海沿岸の集落と広く交流していたことを知りました。また、こ の若狭の地は 古代大和の時代には 瀬戸内海と並ぶ日本海沿岸から若狭を玄関口。琵琶湖から大和へ結ぶ大陸・朝鮮半島との重要な交流路。まだ鉄素材を作れ なかった日本への朝鮮半島の鉄の流入路。
「鉄の道」である。
瀬戸内海経由と並ぶ最重 要路「大和の鉄の道」 今も「若狭街道」の名で若狭と近江・京都を結ぶ重要路。
この街道を近江から山越して日本海側の若狭平野の出た処 若狭上中町脇袋に古墳時代初期の前方後円墳や前方後方墳が築かれ、大和と密接な関係が残されてい ることも知りました。(脇袋古墳群) 古代大和に先立つ卑弥呼 の時代 北九州諸国に独占されていた朝鮮半島・大陸の「鉄」の独占支配が崩れ、山陰諸国 鳥取の妻木晩田遺跡 青谷上寺地遺跡や丹後にも大量に蓄積され、 畿内にも鉄が流入する。

鳥浜からの帰りに、もう 一度 北近江の鉄を調べたいなあ 北近江 牧野や古橋の古 い製鉄遺跡群ばかりでなく、きっと この「近江・若狭を結ぶ若狭街道」にもそんな時代の「鉄」の痕跡があるだろうと・・・・。
以前、朝日新聞関西版に「鉄器登場」や「日本の原像」にこの北近江 若狭街道に近い拠点での前方後方墳など古墳時代の初期の大型墳墓群(熊野本古墳群)が紹介されていた。また確かその時に調べた、読売新聞の連載資料にも鉄 と若狭街道地域に何か書かれていたと。
再度 朝日新聞関西版 「鉄器登場」や「日本の原像」の記事を引っぱり出すと、
「北近江の琵琶湖へ西の比良山塊から流れ下る安曇川の北岸 饗庭野丘陵の南端「熊野本」にある弥生の高地性集落「熊野本遺跡」と古墳時代初期 前方後方墳 墓など大型墳墓群のスタートを示す熊野本古墳群。
大量の鉄素材が出土し、この地で鉄器加工をやっていた可能性がある。」と紹介されている。

熊野本遺跡はどんなところだろうか・・・・ また、大型の前方後円墳を築いた熊野本古墳群にも興味深深。
「熊野本 遺跡とともに若狭街道をたどって若狭へ 初期の前方後円墳・前方後方墳を築いた若狭の王墓群も訪ねよう」と地図を出したり、熊野本遺跡のある高島市に電話 で照会したり。
熊野本遺跡については 以前調べた滋賀県埋蔵文化財センターの学習シートがあるだけで、良く判らない。
場所は 新旭駅の西側の丘陵地の上。 
事前に電話でいろいろ聞いたのですが、昔 雑木林に覆われた丘陵地を別荘地として開発した場所ではあるが、いっても何もないという。 

 
1. 北近江「高島 熊野本」
安曇川左岸 饗庭野丘陵 「鉄の加工工房があったという弥生の熊野本集落遺
2. 若狭「上中 熊川宿 & 脇袋 」
5世紀 大和と結ぶこの地を治める王の墓群「脇袋古墳 群」
  若狭ではじめて築かれたた前方後方墳・前方後円墳群
参 

1.滋賀県文化財学習シート「熊野本遺跡群」
       滋 賀県文化財学習シート「熊野本遺跡群
2.朝日新聞 2001.10.10. 日本の原像 
    「東海・近江に多い初期の前方後方墳が示す大和王権の対抗軸から中枢へ 」
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